私が所属している部署は広報部だが、本部は福岡の本社内にあり、
私は東京営業所に常駐している。東京営業所は所長と所長代理二人の上司の下、
15人程の部下で構成されている。

この二人、所謂引き抜きで、転職でこの会社に入っている。

元々同じ職場で働いていた者同士であり、その時から上司部下の関係で、
かつてから良い師弟関係が出来ていた。

しかし、この会社に入ってからなのかは分からないが、考え方が異なっていた。

この二人の下につく、私の同年代で営業職の同僚がいる。
その同僚は、元々接客業をしていた経緯もあり、お客様からの評判も上々、
成績には浮き沈みこそあれど期待をもたれている人物といっても過言ではなかった。

そんな同僚が一時期、目に見えて落ち込んでいる時があった。

私達は自宅が近かったこともあり、その同僚の愚痴を帰り道に聞くことがあった。

聞くと、上司の二人の言っている事、方向性が真逆だと言う。

例えば、
「長期戦略として、自社のアイテム数を増やし
トライアル&エラーを繰り返す為に商品開発を積極的に行う」所長と、
「売れる見込みのないアイテムは増やしても意味はないと考える」所長代理、

または
「ケツはもつから、個人で戦略を考え自由に動いてほしい」所長と、
「きちんと実績をもつために、都度進捗確認と指示を怠らない」所長代理、

といった具合だ。

当事者レベルではもっとあるかもしれない。

さてこの二人、どちらが理想的な上司なのだろうか。

 

一見、「部下には自由に動いて欲しい」という所長の方が、
部下から見れば働きやすく、「都度指示をする」所長代理のスタンスは、
動きが制限されてしまい、働きにくいように見える。

しかし、実際はそうとも限らない。

自由に動ける環境が働きやすいという人間は確かに存在する。
ただそのような人間は、明確なビジョンと目標を自ら掲げることが出来、
それに向かい適切な目標設定と努力が出来る人間だけなのではないかと個人的には思う。

そうではない人間(私がそう)にとって、
「はい、じゃあご自由にどうぞ」と丸投げされるのは、
実は自由なようで不自由であったりする。

何から始めればよいのか分からないのだ。
分からないのに指示出されないため、斜め方向の動きを始めたりするものだ。
所長代理のように都度指示やチェックをしてくれた方がよっぽど働きやすかったりするのだ。

ただ、いつまで経っても指示待ち人間では成長しないのは当たり前で、
一定の時期から自ら仕事を生み、自ら考えて進める必要があるのは言うまでもない。

つまり、この二人のスタンスはどちらも正解なのだ。
正確にはどちらが正解なんて分からないということだ。

強いていうなら、部下のスキルを見極め適材適所に配置し、
成長度合いを見て指示の仕方を変えるのがベストではないかと思う。

 

方向性が真逆なように見える二人だが、
会社の存続のために働いているという点では、目的は同じ。
道順や手段が違うというだけなのである。

 

しかしこの二人、もう一つ明確な違いがあった。

それは「部下に対する考え方」である。

もし、読者の中で上司に気兼ねなく質問が出来る環境がある方は、
次のような質問を上司にしてみてほしい。

 

「もしも、部下(私)が、仕事をバリバリこなして昇進した結果、
貴方(上司)を追い越したらどう思いますか?」

 

この質問、答えが大体2つに分かれるはずだ。

それは「嬉しい」か「悔しい」だ。

ちなみに所長の場合「嬉しい」、所長代理の場合「悔しい」だった。

所長曰く、
「自分の見込みが間違っていなかった証拠で、自分も認められたようで嬉しい」という。
所長代理は「自分も頑張っている中で、部下の方がさらに頑張っていた。
結果を残すことが出来なかった自分が情けなく悔しい」という。

この違いは何故生まれるのか。

まずは、二人の違いを考えたい。

 

一時期、ネット上で「ボス」と「リーダー」の違いを
端的に表したイラストがちょっとしたバズを引き起こした。

古代ギリシア時代のような労働者数人が大きな積載物を台車に載せて手綱を引いている。
積載物には「ビジネス」と書かれ、「ボス」なる人物はその積載物の上に座し、
進行方向を指さしている。

またもう一つの絵には、積載物の上に座す人物はおらず、
「リーダー」と書かれた人物が自ら先頭に立ち手綱を引き、
他の者を引き連れている様子が描かれていた。

他にも同様のイラストは多数存在するが、
ようは「働かず指示だけするボス」と「共に戦うリーダー」を表したものだ。

このイラストを描いた人物は不明だが、
ようはボス(になること)よりも、リーダー(になること)の方が、
マネジメント的には有効だと言いたいのだろう。

 

所長と所長代理を、安易にこのイラストに当てはまめることは失礼に値するが、
どちらかと言えば所長はボス、所長代理はリーダーと言えるだろう。

所長は、部下とは違う次元で戦略を考えている反面、
部下から見ると仕事をしていないようにも見える。
イラストとは異なるが、部下を自由に働かせるという名目の下、
指示はしない。良くも悪くも放任主義だ。

所長代理は部下に都度指示をするが、常に部下と数字のことを考えていると言える。

「自分が実績を残さないと部下に示しがつかない」と、常に背中で教えているタイプだ。

 

イラストでは、ボスよりもリーダーの方が有益だと捉えることが出来るが、
実際はこの二人のように何とも言えない。
ボスはボスなりに、リーダーはリーダーなりに部下にとって必要な存在なのだ。
適宜に双方のスタンスを取り入れることが理想の上司かもしれない。

 

このように、所長と所長代理はボスとリーダーという気質の違いがあったと考えられる。

では、先の質問において、
ボスは「嬉しい」、リーダーは「悔しい」と必ず返すのかと言われると、
ちょっと違うような気もする。

ボスであってもリーダーであっても、嬉しいとも悔しいとも返す人はいるだろう。

 

では、この違いは何なのか。

 

かつてから上司部下の立場であったこの二人、
よく飲みの席でこのようなやり取りをする。

 

所長「都度、指示を出すお前は部下の伸びしろを殺している。
もっと自分で考えさせないと、部下の成長はない。」

代理「自由にさせた結果、数字が伴っていなければ全く意味はない。
営業は結果が全てです。自分の力だけで売れないのであれば、適宜に支持はすべきです。」

所長「その商品に対して思いがあれば売れるはず。難しいことじゃない。」

代理「それは貴方だからです。そう思うのなら自分で売って見せれば良い。
昔の貴方なら自ら動いて見せていたはずだ。
僕はあなたに常に越えられない壁であってほしい。」

 

さて、このやり取りから、代理は所長に「常に上司であってほしい」と伝えている。

これは同時に「部下には常に部下であってほしい」と言い換えることが出来ないだろうか。

常に部下であるということは、常に上司を超えることが許されない。

所長の言う通りこのスタンスでは、部下の成長はないとまでは言わないが、限界はあるだろう。
しかし、常に目標とする人物が上に存在することはある意味では
モチベーションの保持の為には必要かもしれない。
また、「自分が出来ることは特別なものでなくて、誰でも出来る」と考える所長は、
それこそ驕りだとも考えられる。

 

やはり、どちらが正解なんて分からない。

 

 

強いて言うなら、この二人を足して二で割ったような上司がいれば
理想の上司になるんじゃないかと思う。

でも、そんな人物がいたらセルフマネジメントと
部下のマネジメントの挟間で壊れてしまいそうな気もする。

 

人間は不完全だ。